local report

小さなことから・・・
自分たちの出来ることから始めていこう

万美の現場日記

書道家:万美さんの現場日記から一部を抜粋してお届けします。万美さんは初めてのアフリカ、初めての貧困地域支援でした。

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ブングチ視察

今日はブングチ見学と支援の打ち合わせ。
宿の目の前から船で1時間揺られ、ブングチに到着した。泳ぎの苦手なマッキー(※現地スタッフ)は、すぐにライフジャケットを装着し、引きつったお顔に。みんなで話して少しずつ表情が和らいだ。船からの景色は、これまでの陸から見るマラウイとは違い、村人の水との付き合い方をより一層感じた。マラウイ湖で洗濯も、食器洗いも、すべてしちゃうんだな。そして何より圧倒されたのが、ずっと続く岩の山。岩の間にあるわずかな土をめぐり、木々が根を張り茂っていた。そんな景色を1時間眺めながらブングチに到着。村の子供達が出迎えてくれた。
自己紹介を終え、20人くらいの子供達が次々と自分の名前を言ってくれる。そして私の手を取り、みんなの行く方へ連れて言ってくれた。ニャレレ、ポケラ、(※村のヘルスボランティア)村のチーフに支援物資の説明をする最中、その様子を子供達が物陰から見ていた。説明し終えた後、10人ちょっとの子供達とポケラが村を案内してくれることに。子供達が私の手をとって引っ張ってくれた。
その時、私が持っていたキンキンに冷えたペットボトルが地面に落ち、一人の女の子が瞬時に拾い上げた。私は「清潔な水を取られちゃった」と思ったけど、その子は自分の穴の空いたスカートで、結露と土が混じった泥をグルっと拭きあげて笑顔でこちらに返してくれた。自分の一瞬の考えを心から謝り、涙が出そうな想いになった。それから子供達は順番に私の手を握るようになり、私も子供達の顔や体を撫で回した。言葉はほとんど通じないけど、肌で感じる信頼感。山の中腹にある井戸まで案内してくれた。蛇口と、水を貯めるタンクがあったけど、とても住人みんなをまかなえる量ではなかった。
村を一通り案内してくれた後、チーフのいるところに戻ると最初にいなかった男の子がいた。その子は私のデニムのお尻ポケットに入っていた水を取ろうとしていた。私は宿に戻ればいつでも水は飲めるし、できれば渡したいんだけど、1本渡したらみんなに平等に渡さなくちゃになるから、う~ん、と悩んでいたら、案内してくれた子供達がその男の子と私を近づけないようにしてくれた。
ただ、その男の子がなかなかのしつこさで、すでに手を繋いでいる子の手と私の手を無理やり離して強い力で握りしめてきたり、大きな声を出したりで、私がちょっと嫌な顔をしてしまった。そしたら案内してくれた子供達の中から3人、その子を足でしっしっと追いやったり、追いかけたりし追い払ってくれた。その時、案内してくれた子供達も私の周りをキュッと囲い、私に触れさせないように守ってくれた。
優しい子も、意地悪な子もいて、でもみんな、同じようなボロボロの服を着ていて、、次、私が日本からくるときは、あの子たちに破れていない洋服を渡したい。電気がない村の夜なんて想像がつかないけど、心の綺麗な子が多いことは肌で感じた。

ケープマクレア|クリニック訪問

今日は孤児院とクリニックへ。布ぞうりとメイズ50kg3袋、米50kg1袋を車に乗せ、宿から15分くらいのところにあ るクリニックへ。アーレー2006年にJAGが知り合ったHIVに母子感染している少年)には先に徒歩で出発しておいてもらい、現地集合。到着してすぐ孤児院の見学に行ったが、もぬけの殻。どうやら閉鎖したようだ。アーレーも驚いていた。その後、布ぞうりの説明して、それをクリニックへ寄付。
靴を履いていない子供に布ぞうりを履いてもらい、感動の声が地鳴りのように響いた。子供用14個、大人用12個。うまく配分できたらいいな。それから私たちの昼ごはんを食べにファットモンキー(※食事ができるホテル)への移動中、以前、典子さん(JAGスタッフ)が仲良くなったチカイコ(※アーレーたちの友人)と遭遇。一緒にランチをいただき、みんなで宿へ。
インタビューのお礼に配るセットをアーレー、チカイコ、JAGのスタッフで作った。私は午前中に飲んだマラリア予防薬が効きすぎ、ダウン。3時間後に目覚めたら、300kg分のメイズの小袋が出来上がっていた。寝てる間にみんな働いていて、申し訳なかった。
夕食は、船乗りのROCKYが釣ってきたカンパンゴとナマズを。アーレーがシーマ(※トウモロコシの粉を練って作ったマラウイの主食)を作ってくれた。これが絶品。個人的にはアフリカに到着してからの食事で一番感動し、幸せな時間だった。食後はみんなでメイズの小分け作業。笑いの絶えない時間で、やりがいを感じた。今はみんなのシャワーを待ってる時間。昨日と一昨日、私は水のシャワーを浴び、ろくに体も頭も洗ってない。今日はお湯が出る気配がするから、しっかり、このベタベタを洗い流せたら嬉しい。

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ムサカ村|エイズ患者の家を回ってインタビュー

エイズが蔓延しているムサカという村でエイズ患者のお宅に訪問し、インタビューをしてまわった。全部で10軒。
1軒目から、死ぬ直前のような女性へ質問。対面したとき頭が真っ白になったけど、冷静になってメモを取った。それから何人か続けて質問。暑さと、日差しと、村の至る所で干してる魚の、腐った魚のニオイと、ハエと、湿気と、重たい支援物資と、村の舗装されてない道のりと、1軒1軒まあまあな距離があるのと、黄色い人が歩いてるだけでいろんな眼差しや大声が届くのと、その他諸々で、フラフラになりながら、歩いた。よくわからないけど、結構ハードだったように感じた。いろんなお宅があって、それぞれの暮らしがあって、日本とは全く違う時間が流れている。

ブングチーVCT(AIDSチェック)

疲れた。朝8時に船乗り場で一人で待機した時間は史上最強に心細かった。みんなが30分以上帰ってこない。一人で炎天下の中で、ただひたすら待つだけ。仲間がいるだけでこんなにも心強いんだなって思った。
ブングチについてからは炎天下のもと重い物資を持って山の上へ。身体中の水分が全て放出されたというほどの汗。普段使わない筋肉を使った。VCTでは来てくれた方々にメイズフラワーとビスケットを配った。あるおばあさんにビスケットを渡すと、目をかっ開いて私に襲いかかって来た。突然の出来事で驚きと恐怖で腰を抜かしたけど、お孫さん曰く、「ビタミン貰った」と喜んでいたらしい。色々な喜びの表現があるなと思った。

ブングチーVCT(AIDSチェック)2日目

町の船着き場モンキーベイとブングチ間の移動は船。
その船は木の板で出来た簡素なもので、 そこにエンジン付けて、かっ飛ばす感じ。風が強く、波が5メートルくらいあって、何度か振り落とされそうになった。幼い頃、水泳を習わせてもらったことが心の支えだった。泳げないマッキー(JAGの現地スタッフ)は道のある所だけ歩いた。モンキーベイとブングチの間は自転車が通れるような道もなく、岩場を綱渡りのように行かなくてはならないため、病人の移動は船のみになる。今日も炎天下。地面に穴を掘っただけのトイレに行くのが嫌すぎて山を登り岩陰で。

お休み

今日の現場はお休みをいただいた。10時前にみんながムサカへ出発した後、宿にてお金の枚数を数えた。お金の枚数 数えは無の境地に入る。1時まで集中してぶっ通しで数えた。その後、エクセルにて今まで使った額と、残りの額の計算。最初の表はだいぶ現実味のない数字だったけど、ひとつひとつ見直したらだいぶ近づいた。経理って今まで避けて通って来たけど、いざ数字がリアルになると独特な嬉しい感情になる。今日はほぼ1日停電で、昼に少し通電したときに洗濯機を回してもらったけど、洗ってる途中にまた停電。4時半まで電気がこなかった。
夜はみんなでファットモンキーへ。 今日のムサカの現状を教えてもらった。「欲望の街」という言葉がツボだった明日は私が行く番。ムサカのワイルドな気質の人々と会うのが少し楽しみでちょっと緊張。

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ムサカ(VCT)&ゴミ拾いプロジェクト

今日はムサカ現場2日目。私は昨日、お休みをいただいたので1日目。
着いてすぐにこの村の気質とブングチを比べてしまう。ムサカはずる賢い。いろんな人が出入りしているからだろう。貧富の差も多そうだし、ブングチに比べて顔の作りも様々。ブングチはブングチの顔があった。
VCTの検査後は、ライス、メイズフラワー、メイズの3種類から選んで持ち帰っていただけるように準備。真っ先にライスがなくなり、次にメイズフラワー、メイズが本当に不人気だった。一つ嬉しくなかったのが、価格が高いライスを渡しても、メイズフラワーを渡しても、Thank youの一言もないこと。たまーに、笑顔を見せてくれる人がいるくらい。暑いし、ハエも多いし、だんだんこっちも不機嫌になってしまった。
お昼休憩のランチボックスはマッシュポテトとソーセージ。これは美味しかったな。幸せな時間でした。ごちそうさまでした。食後は布ぞうりの配布。南三陸のおばあちゃんたちが3・11の後に仮設住宅で一つひとつ作ったもの。その、魂の結晶をマラウイの靴のない子供達に配った。子供達は列を作り、大きい子供が小さい子供を抱え、靴を履かせた。大人は有難うも言えないけど、子供はとても優しい。村をよく見ると、子供が子供を育てているようだった。日本の老老介護の逆だな~なんて思った。
それからゴミ拾い大作戦。ゴミを拾った量に応じてビスケットで評価する。片手で握れるくらいのゴミは1枚のビスケットを、両手いっぱいだと2枚、特大だと3枚。中には4枚、5枚とゲットできるほどの大物を拾ってくるツワモノもいた。ムサカはゴミが多すぎる。こうやってゴミを拾って、一つにまとめるという意識がまずは大切だと思った。村の子たちを見ていると、ポイ捨ては当たり前。テッシュでも、PETボトルのビニールでも、足元に落としてOK。その意識から変えていかないともうダメだと思った。ゴミ箱を設置して、自分たちの村を綺麗に。そのゴミをどこで処理するかなんて考えられないけど、(考えなくちゃ)まずは綺麗な村にしないと。
夜はファットモンキーで、みんなで夕食。夕焼けが綺麗だった。食事を済ませ、その途中に停電が来た。星が綺麗でおったまげた。家に帰っても停電。夜の長期停電はとにかく辛い。当たり前のことができない。電気のありがたみを、改めて痛感した。夜遅く、やっと停電が解除され、明日、急遽設置することになった「NO FISH NO LIFE」の立て看板を現地語の言葉で書いた。

ムサカ➡リロングウェイ

昨夜書かせていただいたムサカのNO FISH NO LIFE看板を設置し、リロングウェへ戻った。
ムサカでは先日のビスケット大作戦で助けてくれたペトロスと再会。村を離れる前にもう一度会えて、お礼を言えて本当によかった。 彼はとても好青年。そして気の利き方がすさまじい。常に先のことを考え、目の前の人が困っていることを自分が率先してする!という感じ。
例えば、ビスケット大作戦の時、私は子供達の手洗い用の水をコップから注ぐ係で、水がなくなりそうで焦っている私の姿を見て、何も言わずに新しいバケツに水を汲んで来てくれたり。私がトイレに行ってる間、素早くその係を引き受けてくれたり。助けられたな~。看板を設置する時、最後の一言を書き込んだ。まさか、マラウイで筆で字を書くことができるなんて思ってなかったし、とっても生きがいを感じる一瞬だった。自分の仕事がこの地で活かせて感動した。
ムサカを離れ、リロングウェに戻ると、最初のリロングウェとの印象との違いにびっくりした。到着してすぐは、「何もないな、本当に首都?」と思っていたけどケープマクレアでの生活を経て、「何ここ都会!なんでもある!スーパーに商品が溢れてる!」ホテルでも「Wi-Fi繋がる!余裕でお湯でる!鍵ちゃんと閉まる!夜風の爆風がない!」 と、ひとつひとつに感動した。人間の順応性に驚いた。ホテルのレストランも本当に美味しかった。贅沢をさせていただいてるな、と、ムサカやブングチの方々へちょっと申し訳ない気持ちにもなった。

帰国後

学ぶことが多すぎる日々だった。成田空港から車で送っていただく間に見た東京の景色が無駄でしかなかった。夜のディズニーランドも消灯すればいいのに。けど、それだけの経済大国に生まれたんだなって、ここに生まれた責任ってのもあるなって、まだまだよくわかんないけど、ざっくり思った。行ってよかった。見て、体験したからこそ染み込んだ現実がある。ムサカのビスケットプロジェクトで私は1つもゴミを拾わなかった。その自分に今更疑問を感じている。

最後に

感受性を閉じて冷静に作業をし、今現在の自分を守るのか、どんどん開いて精神グラグラになりながら、己と向き合って行くか。試されてるように感じる。このまま感受性を開き続けて精神をグラグラにするか、閉じて、冷静に仕事をこなすか、今現在の自分を守るためには後者だけど、今後のためにはそうじゃない。
1年のうち数週間くらいは、こうして書道と関係ない自己と向き合うのもいいかも。英語、チェワ語、お金の計算、エイズ、支援物資、学ぶことが多くて脳みそが気持ちよかった。学びは一生の友だな。
マラウイの大きな山を、ぼーっと、見てると、その山に背いたらいけない気がしてくる。日本人が古くから自然の中に神様を見出した血を感じる。作業を開始すると、村の方々の協力に助けられる。色んなことがスムーズで、困ったらすぐに解決策を教えてくれて、たくさんの学びを与えてくれる。そんな優しい方がエイズ孤児でエイズだったり、毎日同じ服を着ていたり。受け入れたくない現実と、どうしようもない歯痒さと、葛藤と、それすらも帳消しにたくなるような、圧倒的な自然と、星と、生と死と、助け合い、感謝を伝えることは、いちばん簡単な、世界平和なのかな。

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