local report
小さなことから・・・
自分たちの出来ることから始めていこう
成田空港〜バンコク〜ヨハネスブルク〜リロングウェ
初めてのアフリカまでの大移動
African JAG Projectの支援活動に英語翻訳という形で参加してから早3年。アフリカとのメール翻訳を通して、知識としてのアフリカの劣悪な環境については知っていたものの、ついにJAG主催者の浅野さんとマラウイの支援に同行することとなった。
午後5時前に成田空港を発ち、現地時間の午後9時半にバンコクに到着。そして約3時間後、日付の変わった午前1時にバンコクから南アフリカはヨハネスブルクまで約11時間のフライト。さらにヨハネスブルクに到着後、午前10時にマラウイに向けて出発した。目的地であるマラウイの首都、リロングウェまでは約2時間。成田を出発してから、おおよそ26時間が経過していた。こんなに長距離の移動は初めてだった。 by 梶谷雅文
リロングウェ|物資調達・日本大使館訪問
首都リロングウェは日本でいうところの小さな町のようだった。中心部は道路が舗装されているが、少し離れると土の道が続く。年に三度花を咲かせるという美しいジャカランダ(紫色の桜のようだった)が満開だった。そして「ooxxクリーニング」や「ooxx工業」などと、車体に日本語の文字が書かれた自動車が町を行き交う。日本で使い古した中古車がこの国に寄付され再利用されているのだ。そこら中に見られる日本語の文字に違和感を覚えた。そして町に出ると、現地人の視線が痛いほど突き刺さる。多くの中国人がビジネスでマラウイに来ているということなので、アジア人が珍しいわけではないはずなのだが、なぜか視線が痛い。初めてのアフリカということで構えていたせいだろうか。小さな薬局を回り、マラリア薬を120個と野菜の種を購入した。これらは支援で訪れるブングチとムサカというふたつの村に届けるためだ。
買い出しを終えると、日本大使館に向かった。その目的は、外務省が実施している草の根・人間の安全保障無償資金協力の申請についてのミーティング。この申請がうまくいけば、ブングチにエンジンボートなどを寄付することができる。その他にも殺虫剤処理が施された蚊帳の工場ができたことなど、マラウイの近況も得ることができた。明日は村に移動し、JAGの支援活動が本格的に始まる。期待と不安が入り交じる。
リロングウェ〜モンキーベイ・クリニック〜ケープマクレア|移動
マッキーという現地のドライバーの運転で、支援活動の拠点となるケープマクレアへ向かった。途中で米50kg、そしてマッキーの自宅でもメイズ50kgを調達。これらは昨日購入したマラリア薬と併せて村に届けられる。舗装された道路を突っ走り、モンキーベイという地区のクリニックに到着。色とりどりの衣服に身をまとった大勢の患者と乾期の天候の良さで、本来の陰鬱とした雰囲気はそこまで感じられなかったものの、VCT(血液検査)やARV(抗HIV薬)と記された部屋とその待合室で力なく診察を待つHIV感染者と思われる人々を目にすると、やはり動揺してしまう。日本の病院のような清潔感もまったくない。ブングチとムサカでVCTの実施を予定していたため、その許可とスタッフの派遣をお願いした。クリニックを後にし、途中から舗装されていないガタガタ道をゆっくりと長時間走る。トラックの荷台に所狭しと乗った村人や、自転車にヤギを積んだ少年とすれ違う。そうしてようやくケープマクレアに到着した。
ケープマクレア〜ムサカ|視察1
ブングチとムサカの村人にVCTを実施する旨を伝えるため、まずモンキーベイに向かった。ブングチに行くためだ。ブングチに行くには陸路がなく、ボートでマラウイ湖という広大な湖を渡るのが唯一の移動手段。そのため、モンキーベイでブングチまで我々を運んでくれるボートを探していると、ある男が声をかけてきた。往復でMWK12000だと言う。相場がわからない僕は浅野さんに男を紹介したのだが、どうやら大幅にふっかけていたらしい。しかもボートのドライバーは皆、昼間から酒を飲んでいるとのこと。交渉中も酔っ払いの青年にからまれ、小さな子供には「水をくれ、金をくれ」と合言葉のように声をかけられる。こういう状況は知識として予想してはいたが、途上国の洗礼を初めて受けたような気がした。アフリカに来たんだ、という実感が少しずつ湧いてくる瞬間だった。結局、交渉は決裂しブングチ行きは取りやめになり、ムサカに向かうことになった。
ムサカの入り口付近には、アイスランドから寄付された立派な学校が建っていた。さらに奥へと入ると、道の両側に墓地が広がっている。それも墓標があるのは僅かで、多くはタライが目印になっただけの粗末な墓ばかり。村でJAGの支援に協力しているボランティアと会い、近況を訊ねた。2006年から続くJAGの支援のおかげで村の状態は改善し、HIV感染者のパーセンテージも低下しているということだった。やはり継続することが大切なんだと身にしみる思いだった。
ケープマクレア〜ブングチ|視察2
ケープマクレアでボートを調達し、ブングチに向かった。ボートのチャーター費用は往復でMWK6000。ボートに乗り込み、ブングチまで40分の移動。ブングチは家ほどの巨岩に囲まれ、電気もなく、他の地域から隔離されたような村だった。住居が密集し、疫病が発生すると一気に村中に広がってしまう。浅野さんが前回に訪れたときに健在だったという村長もすでに他界していた。HIV感染者のパーセンテージも高いということ。井戸も汚染されている。同じ地球上でこのような場所が存在することは知識としては知っていたが、足元の砂に照り返される灼熱の日差しやむせ返るような魚の匂いなど、五感で実際に感じるその雰囲気は行ってみないとわからない。しかし一日1ドル以下の生活を余儀なくされた村でも、子供たちの笑顔は眩しいほど輝いていた。「アズング(チェワ語で白人という意味)!」と声高々に話しかけてくる。あんなにキラキラと輝く目をした子供は日本で見たことがない。しかし、ここで僕に何ができるのだろうか?
VCT(ブングチ)
いよいよ本格的な支援の始まりだ。体調不良のため、初めの二日間は浅野さん抜きでクリニックのスタッフ2名とドライバーのマッキーとともにブングチでVCTを実施した。すべてが初めての経験のため不安でしょうがない。現場では特にできることはないのだが、VCTの手順をビデオカメラで撮影した。VCTは実に簡単なもので、まずVCTキットに付いた針で指を刺し、採取した血液が薬品に反応するかどうかでHIVに感染しているかどうかがわかるという仕組みだった。その現場の張りつめた空気に動揺してしまい、撮影する手がどうしても震えてしまう。この検査でHIV陽性かどうかが判明する。もし僕がVCTを受ける立場だったら、気が気じゃないだろう。そうしてHIV陽性の患者には、クリニックまでのトランスポートクーポンが支給され、ARVを受け取ることができる。クリニックまでの微々たる交通費を持たない村人には、このトランスポートクーポンが必要なのだ。HIVに感染していることがわかれば、ARVでエイズの進行を遅らせて寿命を伸ばすことができる。
ブングチで3日間実施したVCT。検査を終え、HIV陽性と診断された患者の数に愕然とした。あれほどまでにHIVに犯された人に囲まれたのは初めてだった。中には陽性と診断されても笑顔で談笑している人もいる。前回に実施されたVCTですでに陽性だとわかっていたのかもしれないが、自分だったら笑顔でいられるだろうか? そして次々に、浅野さんのもとに感謝の気持ちを伝えに患者がやってくる。寝たきりだった男が元気になり、働けるようになった姿を見る気持ちはどのようなものなのだろうか。やはり支援は継続することに意味があるのだと思う。
VCT(ムサカ)
日にちは前後するが、状況が改善されたムサカでもVCTを実施した。実はこの日は三日連続でブングチ、そして翌日の土曜にムサカに行く予定だったのだが、ボートのオーナーがチャーター費をMWK9000に釣り上げると言い出したために急きょムサカに向かうことになった。村人のほとんどがVCTの実施を当日まで知らされていなかったため、思いのほか人が集まらなかったのが残念だった。しかし検査の合間にVCTスタッフや村の少年と話すことができた。少年は、「僕は思うように教育が受けられないため、英語がうまく話せない。ゴメン」とブロークンイングリッシュで言った。VCTスタッフは、「日本に帰っても、決して私たちを忘れないで」と言った。さらには金のために売春行為をする少女が存在することも知らされた。マラウイに着いて一週間。正直僕に何ができるのか……答えは未だ見つかっていない。
ふたつの村でのVCTを終え、リロングウェに戻る。2006年から浅野さんが支援を続けてきたエイズ孤児の少年も一緒だ。年のわりに学力が圧倒的に低い彼を、リロングウェの学校で勉強させるためだった。貧困にあえぐ途上国では、疫病はもちろんのこと、教育水準の低さが大きな問題となっている。未来を担う子供に適切な教育を施すことができなければ、その国の未来もやはり暗くなるのではないか。とはいっても、やはり僕に何ができるのかわからない。支援に訪れた村でも、浅野さんの指示がなければ何もできない自分の無力さを感じずにはいられなかった。裕福な日本という国に生まれたことだけで奇跡なのだと思う。裕福な国に生まれたのなら、恵まれない外の国々に目を向けるべきではないだろうか。
日本大使館|報告
ブングチとムサカで実施したVCTの結果やその状況を報告しに日本大使館へ向かった。そして草の根・人間の安全保障無償資金協力にブングチで使用するボートと深井戸建設の申請についての確認。この申請が通れば、トランスポートクーポンがなくても村人がクリニックに行くことができるようになる。ちなみに15馬力のエンジンを搭載したボート一艘の価格は40万円ほどらしい。これは僕の渡航や宿泊にかかった費用と同じ。僕の渡航費で村人を運ぶボートが購入できるというわけだ。はたして僕がマラウイに来たことで、少しでも村人たちの役に立つことができたのか……と考えてしまう。マラウイでの滞在は、ただ焦燥感にかられ自分の無力さを実感するだけの情けない結果に終わってしまったような気がする。今、僕にできることは、少しでも多くの人にマラウイの現実を伝え、マラウイと日本とを繋ぐ言語の橋渡し役としてJAGの支援を継続させることなのかもしれない。そして草の根の申請を成功させて少しでも村の役に立つこと。とりあえず、マラウイで実際に見て感じたことを風化させず、今できることを確実に進めていきたいと思う。
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