Chapter5
アフリカン・ウーマン
アフリカン・ウーマン
今回は『アフリカン・ウーマン』のシリーズ第一弾。“トシャ”というブルンジ出身の26歳の女性のお話です。
出会い
トシャと初めて会ったのは、一昨年10月。ウガンダの北部にあるグルという地域で元・少年兵の自立支援を行っている日本のNGOテラ・ルネッサンス (http://www.terra-r.jp)の活動を直接見せてもらいに行った時のことだった。このとき、彼女はまだテラ・ルネッサンスのインターンとして元・少年兵の子どもたちの日常の聞き取りや直接的なアドバイスを担当していた。とても頭の回転が速く、アフリカの女性には珍しく自信に満ちた表情と立ち振る舞いから自立した女性という印象を受けた。彼女はいつも明るく、私たちとコミュニケーションを取る為にボスから教えてもらったという片言の日本語 を織り交ぜて自分から話し掛けてきた。凄くチャーミングな女性でその時は、彼女に残酷な過去があるなんて全く想像することが出来なかった。これから書くトシャの生き様は、リアルタイムで同じ地球上に生きているにも拘らず、想像を絶するものだ。再度記するが、彼女の年齢は26歳。決して大昔の出来事ではない。
民族闘争
94年に起こったルワンダの大量虐殺は記憶に新しいと思うが、それ以前から実はその周辺諸国でもツチ民族とフツ民族の対立が大きな問題になっており、トシャの祖国“ブルンジ”でも民族闘争の激化から多くの虐殺が行われていた。7歳のときトシャがポツリポツリと自分の生い立ちを語り始めた。トシャ7歳のときの出来事。学校から戻ると家の周辺が騒々しく多くの人だかり。そして大勢の人達の死体。嫌な予感がした。家の近づくにつれ、焼け焦げた臭い。虐殺。そしてそれは、無情にもトシャの両親と兄の上にも降りかかった。トシャの家族は家に閉じ込められた状態で火を点けられて殺されていた。……その晩、トシャは焼け焦げた家の近くで一人地べたに寝たという。翌日、母方の叔母がトシャを引き取りに来てくれた。しかし、そこでも悲惨な出来事がトシャを待ち受けていた。またしても経験することとなった虐殺の場面。ある日、叔母さんが畑に行ったきり帰って来ないのでトシャは心配になって畑を見に行った。するとそこには叔母さんの無惨な姿が横たわっていた。民族対立からなる虐殺。自分の命は助かった。けれどトシャは自分がそこにいると又誰かが殺されると思った。自分が疫病神なんだと……。そして泣きながらブッシュに逃げ込んだ。その後、トシャは約半年の間、1人きりでブッシュの中で生き抜いた。恐怖でそこから出ることが出来なかったのだそうだ。7歳の……小さな少女が目撃した地獄 絵図。想像するだけで身の毛がよだつ現実がそこに存在していた。
難民キャンプ
半年後、8歳のトシャは同じ村の人に連れられてタンザニアの難民キャンプに移った。難民キャンプは、酷いところだった。毛布もトイレも無かった。難民キャ ンプでの生活は大人でさえ厳しいものだと聞く。まして8歳の子供にとってその生活は決して楽なものではなかったはずだ。この頃、心の痛みがトシャの人生を 支配していた。その後、タンザニア政府によってコンゴの難民キャンプに移るが、たった2週間でケニアへ。10歳になっていたトシャは、ケニアでインド人の家に住み込みで 2年間を過ごす。屈辱的な扱いを受けたという。「犬!!」という言葉を浴びせられ、懸命に耐えた。それでもトシャは、独学で英語を学んだ。アフリカの大地で少しでも有利に生き抜いていく為に10歳の少女が身につけた知恵。
ストリート・チルドレンへ
12歳の時、再びウガンダの難民キャンプへ。しかし、あまりにも酷い状況にキャンプを脱走しストリート・チルドレンとなる。何も食べることが出来なかった。それどころか、たった一杯の水を飲むことさえ出来なかった。ボロボロの服を身につけたトシャは、大きな家の前に立った。呼び鈴を押すとその家の人が出てきた。トシャの姿を見ると汚いと指をさし他の家族を呼んだ。みんなでトシャを笑った。そんな屈辱的な仕打ちをされても彼女は「一杯だけ水を下さい。何でもしますから働かせてください。」と懇願した。家主がコップに水を注いで持ってきた。しかしコップに注がれた水はトシャの顔にかけられ、「2度とここに来るな。」という言葉を浴びせられた。そのとき、彼女は虐殺されてしまった自分の家族のことを想い出したと言う。貧しかったけど優しい父。トシャがまだ家族が生きていた頃のクリスマスの出来事を語ってくれた。
思い出のクリスマス
トシャが家族と過ごした最後のクリスマス。トシャの家は決して裕福ではなかった。でもクリスマスには毎年お肉を食べられて新しい服を買ってもらえた。しか しその年のクリスマスは、お肉もプレゼントも無かった。友達はみんなお肉を食べて新しい洋服をもらっている。トシャは、悔しくて泣きながらお父さんに「何で?」と聞いた。するとお父さんはトシャを持ち上げて高い、高いをしてくれた。そして太鼓を叩きだし、みんなで歌い、踊った。家族の顔に笑顔が戻った。お父さんは言った。「もし、今日新しい服をあげてhappyになっても明日になったら忘れてしまう。来年になれば又新しい服が欲しくなる。でもこんなに楽しい時間は、一生忘れないだろう!!」って。トシャは遠い昔を思い出すように言った。「あんな楽しい時間をプレゼントしてくれて……。絶対に忘れない。大切なのは物じゃないんだよね……。」
自立
その後、トシャはやっと就職することが出来た。自立の一歩を踏み出した。そこでも時を無駄にせず、独学でコンピューターを覚えた。出来ることは何でもやった。1人で生きていく為に。
子どもたち
ウガンダの首都・カンパラに移って数年経った。トシャは、20歳になっていた。カンパラには大勢のストリート・チルドレンがいた。その子どもたちに自分の昔の姿を見た。トシャは、ストリートで生きている子どもを自分が育てて行こうと思った。現在、女の子2人、男の子2人の母親だ。全員、ストリートで生きていた子どもたち。カンパラ郊外に家を借り、同じブルンジ出身の友人が子どもたちの面倒を見ている。トシャは言う。「もし、自分が倒れたら子どもたちは又ストリートに戻らなくてはならない。だから頑張らなくちゃ。」って。
テラ・ルネッサンスでの活動
2005年。トシャは元・少年兵の自立支援を目的にウガンダに活動の場を持った日本のNGO、テラ・ルネッサンスのインターンに応募し採用されることになった。自分の経験が少しでも役に立てば……と思ったのだそうだ。ウガンダ北部のグルでは、子どものときにゲリラにさらわれ少年兵にされた子どもたちが大勢いる。政府軍に保護され、村に帰っても自分がしてきたことで差別を受ける。彼らは子ども兵として銃を持たされ人を殺したり、傷つけたり、時には村を焼き払わなくてはならなかった。大勢の人が死んだ。敵も味方も……。殺らなければ自分が殺された。逃げ出そうとして 捕まった子どもたちは鼻を切り落とされたり、唇を切り落とされたり……これ以上残忍なことは無い……というような目に遭った。女の子はレイプされ、子どもを生まされた。元・少年兵の子どもたちの心には暗い闇が潜んでいる。今、トシャは、この元・少年兵の子どもたちの姉のように皆の良き相談相手としてテラ・ルネッサンスの中でなくてはならない存在になっている。自分が体験したことをバネにして傷ついた心を持つ子どもたちに希望を与える存在になっている。
将来
今、トシャの顔には笑顔が溢れている。ともかく元気だし、やっと掴んだ自分の居場所、自分を必要としてくれる大勢の人に囲まれて毎日忙しくしている。血は繋がっていないかもしれないけれどトシャには新しい家族がいる。将来トシャは、大勢のストリートの子どもたちが住める家を作りたいのだそうだ。名前は「トシャの家」がいいと思う。今、テラ・ルネッサンスのホープとして活躍しているトシャ。もし、機会があればトシャが来日したときに直接彼女の言葉を聴きにいって欲しい。大勢の人に彼女の生き様を知って欲しいと思う。きっと沢山の勇気と元気を与えてくれると思うから。
思うこと
今回、『アフリカン・ウーマン』の第一弾としてブルンジ出身の26歳の“トシャ”という女性を紹介した。彼女は、懸命に前を向いて生きてきた。先進国には 物が溢れている。子どもたちは何でも持っている。でもチョット何かあると心を閉ざしてしまう。私自身、昔はそうだった。甘ったれたクソガキだった。自分の弱さを認めることが出来なかった。私は、アフリカに行くようになって生きることの根本を教えてもらった。特にアフリカ女性が置かれている状況は、早急に改善されなくてはいけないと思うことが多々ある。でも、今回紹介したトシャのように自力で困難な状況から這い上がる女性も少なくない。私も彼女たちを見習って強く生きていこうと思う。有難う……トシャ。
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