Chapter10

モロッコ―時空を越えた空間

モロッコ―時空を越えた空間

AFRICAN JAG PROJECT2001年3月、PVのロケハンでモロッコのワルザザードとフェズに行った。実はこの時、体調不良で病院へ行ったら癌のマーカーが上がっていて検査、検査の毎日で結構、落ちていた。辛い時ほど誰にも言わない、寄りかからない……という超負けず嫌いの性格からすべてを自身のなかに抱え込んでいた(でも本当は、かなり参っていたのだけれど)。……で、ともかく結果が出るまで日本にいるのがしんどくて、23年間、親友&仕事仲間をやっている監督の諸沢君とともにロケハンという名目のもと、モロッコに飛び立った。モロッコは、ずっと以前から行ってみたい場所だった。それは、大好きな映画 『シェルタリング・スカイ』 のロケ地であり、原作者ポール・ボウルズが、アメリカから移り住み、一生を送った地だったからだ。ちなみに 『シェルタリング・スカイ』 の音楽は坂本龍一さんが担当している。

カスバ(要塞)とベルベル人

モロッコのワルザザードには、多くの「カスバ」が点在し、砂漠の民の生活を垣間見ることができる。世界遺産に指定されている大きなカスバには、いまも8家族がその場所で生活している。カスバは、要塞として使われていた。赤土で出来たカスバは、小さな明り取りの窓があるだけでそのなかは暗い。だから細かい細工を施したランプがあちらこちらに置かれていて、それは、それは幻想的だ。この地はベルベル人の人が多く住み、大半の女性は真っ黒な民族衣装を着てブブカを被っている。
私達が訪れた時もかなり暑かったのだけれどベルベル人の女性は真っ黒な民族衣装で全身を包んでいた。宗教上とはいえ、私だったら絶対に無理!……とはいえ、生まれた時からそういう生活をしてきたのだから彼女たちにとっては何でもないことなのかもしれないけど……。その後、カサブランカから汽車に乗ってフェズに向かった。1等席のチケットを購入して乗った汽車は、クーラーも効いた一部屋3人がけのベンチが向き合うコンパートメントでとても快適だった。途中までは、諸沢君と2人だけで一部屋を占領していたが、その後、チョット怪しいモロッコ人が乗り込んできた。20代後半のモロッコ人は、微妙な日本語で話しかけてきた。案の定 「チョコ買わない?」。この場合、チョコというのはハッシシのことでモロッコでは旅行者に麻薬を売る売人が数多くいる。もちろん、買わなかったけど結構しつこいから、気をつけたほうがいい。

アフリカ大陸を一括りにはできない

AFRICAN JAG PROJECTフェズは、結構大きい街だった。モロッコ自体、99%以上が敬虔なイスラム教徒で街のなかは圧倒的に男性であふれている。チョット驚いたのは、夕方になるとオープン・カフェにモロッコの民族衣装・ジュラバを纏った男性で溢れかえる。そこで何を飲んでいるのかというとミント・ティー。お酒は一切置いていない。カサブランカなどは、観光客用にお酒を置いている店も結構あるようだけど、フェズでは大きなホテル以外では、簡単にお酒を呑むことはできない。どちらにしても外国人である私が顔も隠さず普通の洋服で街を歩くということは、その男性たちの視線を一斉に浴びるということで、正直、ちょっと怖かった。
モロッコは、ヨーロッパにいちばん近いアフリカで顔立ちも黒人……というよりはアラブ人の顔立ちをした人が圧倒的に多い。なんか、まったくアフリカにいるという実感が湧かなかった。食べ物は、クスクスやタジン等が超美味でしっかり嵌ってしまった。野菜も豊富でともかく美味しい。何でもヨーロッパ各地に輸出しているのだそうだ。アフリカであんなに豊富な野菜は食べたことがなかったので本当に驚いた。アフリカ大陸を一括りにするのは、絶対に間違っている。

1000年、2000年前にタイムトリップ

AFRICAN JAG PROJECTフェズのメディナはともかく驚くことばかり。世界一の迷路……と言われるだけあって高い城壁のなかに無数の路地が密集し、数10万人が生活している場所だ。1950年代、ヨーロッパのスパイはこの迷路で訓練をしたのだそうだ。人がやっとすれ違うことが出来る道幅にロバが歩く。馬に乗った子供が荷物を運ぶ。ジュノバを着た人々が行きかう。モスクからコーランが響く。狭い路地には店が密集している。真っ白な石畳の小路を歩くと1000年、2000年前にタイムトリップしたような感覚に陥る。……っていうか、自分の過去を全て消してしまえるような錯覚に陥る……の方が的確かも。この空間に身を隠してしまいたい……という衝動に襲われたとき、突然 「絨毯安いよ!」 という片言の日本語が私を現実に引き戻した。

幸せな女性たち

……ともかくガイドと称する人が多い。もぐりのガイドも含めば、そこいらなかにガイドがいるって言っても過言ではない。私達は、モハメッドという若いガイドを雇っていろいろ案内してもらった。もちろん、絨毯は買わない。メディナで生きるモハメッドは、多少のやばさはもっていたが根っからのワルではなさそうだった。
AFRICAN JAG PROJECT私達はモハメッドに撮影のコーディネートを頼むことにした。短期間にメディナの中を撮影するには現地の人間をいかにいいかたちで巻き込んでいくかにかかっている。彼の家へ行き家族も紹介してもらった。お父さんもお母さんも兄弟たちも本当に良い人たちだった。ベルベル人のおばあさんの家にも行った。額に刺青を入れたおばあさんは、坂の上の伝統的な家にひとりで住んでいた。ここでも女性は外を歩くときにスカーフを頭に巻いたり、顔を隠したりする。ほんの少し離れた場所に行くのであっても……。それまでにもイスラム教徒が多く住む国に行った事はあったけれどアフリカのなかでこれほどまでに敬虔なイスラム教徒がいる国は初めてだった。傍から見たら強力な男尊女卑。女性には自由はないように見える。でも、モハメッドのお母さんや姉妹は凄く幸せそうだった。

自分の常識が世界の常識ではない

湾岸戦争以降、何かとイスラム教が問題視されることが多い。でも、たとえば私はイスラム教の教えを勉強していないし、イスラム社会に生きてもいない。もちろんキリスト教に関しても同じことが言えるわけで……。仏教に関しては中学が仏教の学校だったから多少は勉強したけれど、どちらにしても他の宗教を批判できるほどの宗教に関しての知識はない。ただ、宗教が違っても人としてきちんと向き合えば判り合える事はたくさんあるように思う。モロッコの旅で私は改めて日本の常識、自分の常識が世界の常識ではない……ということを実感した。

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